介護事故について話し合うとき、私たちはしばしば「原因は何だったのか」という問いから考え始めます。転倒であれば床が滑りやすかったのかもしれません。誤薬であれば確認不足があったのかもしれません。誤嚥であれば食事姿勢に問題があったのかもしれません。

このように、一つの事故には一つの原因があると考えることは、私たちにとって極めて自然な発想です。しかし、安全学の歴史を振り返ると、この「事故には一つの原因がある」という考え方は、長い年月をかけて大きく変化してきました。

現在では、安全とは一人の失敗や一つの原因だけでは説明できない複雑な現象であると理解されています。しかし、その考え方に至るまでには、多くの研究者による試行錯誤がありました。

安全理論の歴史を学ぶことは、単なる学説の紹介ではありません。

事故をどのように理解するかという考え方の変化を知ることによって、私たち自身が介護事故を見る視点も大きく変わるからです。

その出発点となった人物が、アメリカの保険技術者であったハーバート・ウィリアム・ハインリッヒです。

一九三一年、ハインリッヒは産業災害を分析した著書『Industrial Accident Prevention』を発表しました。

当時の工場では、多くの労働災害が発生していました。事故が起きるたびに原因究明が行われていましたが、その多くは個別の事例として処理されていました。

ハインリッヒは数万件に及ぶ災害記録を分析し、事故には一定の法則性が存在することを見いだしました。

彼が提唱した代表的な理論が、「ドミノ理論」です。

ドミノ倒しを思い浮かべてください。

最初の一枚が倒れると、次々と隣のドミノが倒れ、最後にはすべてが倒れてしまいます。

ハインリッヒは事故も同じように、一連の出来事が連鎖することによって発生すると考えました。

彼は事故発生までの過程を五段階で説明しています。

まず、人間の背景となる素因や社会環境があります。その結果として個人の欠点が形成され、不安全な行動や危険な状態が生まれます。それが事故を引き起こし、最後に傷害という結果につながります。

現在から見ると、この理論には古典的な部分もあります。

例えば、人間の性格や資質を事故原因として重視している点は、現代安全学とは異なる考え方です。

しかし、事故には過程が存在するという考え方は、その後の安全研究へ極めて大きな影響を与えました。

さらにハインリッヒは、有名な「一対二十九対三百の法則」を提唱しました。

一件の重大事故の背後には二十九件の軽微な事故があり、そのさらに背後には三百件のヒヤリハットが存在するという考え方です。

この法則は今日でも介護施設でよく紹介されます。

もっとも、この数字そのものは、業種や時代によって大きく変化することが分かっています。

そのため、現代では「一対二十九対三百」という数字を普遍的な法則として理解することは適切ではありません。

重要なのは数字ではありません。

重大事故は突然発生するのではなく、その前には数多くの小さな異常や兆候が存在しているという考え方です。

例えば、利用者が転倒した場合を考えてみます。

転倒した当日だけを見れば、「立ち上がった瞬間に転倒した」という出来事だけが目に入ります。

しかし実際には、その数日前から歩行速度が低下していたかもしれません。

食欲が落ちていたかもしれません。

夜間の睡眠が浅くなっていたかもしれません。

介助方法が変わっていたかもしれません。

環境が変化していたかもしれません。

つまり、一つの事故は長い時間をかけて形成されている可能性があるのです。

この視点は、現在の介護安全学においても非常に重要です。

事故が起きた瞬間だけを見るのではなく、その前後に存在する小さな変化を丁寧に追いかけることによって、本当の原因が見えてきます。

しかし、安全研究が進むにつれて、ハインリッヒ理論だけでは説明できない事故が数多く報告されるようになりました。

例えば、一人ひとりの職員が規則どおりに行動していたにもかかわらず事故が発生することがあります。

誰も重大なミスをしていないにもかかわらず、複数の小さな条件が偶然重なった結果として事故が生じることもあります。

航空事故や医療事故、原子力事故の研究では、このような事例が繰り返し報告されました。

つまり、事故は一つのドミノが倒れた結果ではなく、多くの要因が複雑に相互作用した結果として理解しなければならないことが明らかになってきたのです。

このことは、介護現場でも同様です。

例えば誤薬事故が発生した場合、「確認不足だった」という説明だけでは十分ではありません。

なぜ確認ができなかったのでしょうか。

申し送りに問題はなかったのでしょうか。

薬剤の配置は分かりやすかったのでしょうか。

利用者への対応が重なっていたのでしょうか。

職員配置は適切だったのでしょうか。

照明や環境に問題はなかったのでしょうか。

このように問いを重ねていくと、一つの事故の背後には、人間、環境、組織、設備、情報など、多数の要因が存在していることが分かります。

安全学は、ここから「個人の失敗」を中心に考える時代から、「システム全体」を見る時代へと大きく舵を切ることになります。

その転換点となった研究者が、心理学者ジェームズ・リーズンでした。

リーズンは、人間は本質的に誤りを犯す存在であることを認めた上で、「事故とは、人間が失敗したから起きるのではなく、システムの中に存在する複数の弱点が偶然重なったときに発生する」と考えました。

彼が提唱した理論は、その後世界中の医療や航空、安全工学へ大きな影響を与えました。

現在、多くの病院や介護施設で安全管理の基本として考えられている「システム安全」の発想は、このリーズンの研究によって大きく発展したと言っても過言ではありません。

ここまでで、ハインリッヒのドミノ理論から「事故には過程がある」という考え方が生まれ、安全学が発展してきた歴史をたどりました。しかし、その後の航空事故や医療事故、原子力事故の研究によって、「事故は一つの原因では説明できない」という認識が広まり、安全学は新たな段階へと進みます。

ここからは、ジェームズ・リーズンのスイスチーズモデルから、ナンシー・レブソンのSTAMP(Systems-Theoretic Accident Model and Processes)へと続く、安全理論の発展を一つの流れとして解説します。


第7回 事故はなぜ起こるのか

――安全理論の進化とシステム安全という考え方(後編)

前編では、安全学の出発点としてハーバート・ウィリアム・ハインリッヒのドミノ理論を取り上げました。事故は突然起こるのではなく、いくつもの出来事が連鎖した結果として発生するという考え方は、安全管理の歴史に大きな転換をもたらしました。しかし、二十世紀後半になると、この理論だけでは説明できない事故が数多く報告されるようになります。

航空機事故や原子力事故、大規模な医療事故などを詳しく分析すると、事故の直接的な引き金となった職員だけを取り上げても、全体像を理解できないことが明らかになったのです。

そのような背景の中で、安全学に新しい視点をもたらしたのが、イギリスの認知心理学者ジェームズ・リーズンでした。

リーズンは、人間は本質的に誤りを犯す存在であるという前提に立ちました。しかし、それは人間を否定するためではありません。どれほど熟練した専門職であっても、注意力には限界があり、記憶には限界があり、認知には限界があります。そのような人間を前提として、安全を設計しなければならないと考えたのです。

ここでリーズンが提示した代表的な概念が、「スイスチーズモデル」です。

スイスチーズには大小さまざまな穴が開いています。この穴を、事故を防ぐための防御機能に存在する弱点として考えます。

介護施設には、事故を防ぐための防御機能が数多く存在しています。

利用者のアセスメントがあります。

ケア計画があります。

申し送りがあります。

介護記録があります。

職員同士の声掛けがあります。

マニュアルがあります。

研修があります。

管理者による確認があります。

これらはすべて、安全を守るための「防御の層」です。

しかし、どの防御機能も完全ではありません。

アセスメントには見落としがあるかもしれません。

申し送りでは情報が十分に伝わらないことがあります。

マニュアルが現場の実情に合わなくなることもあります。

職員は疲労し、集中力が低下することもあります。

つまり、一つひとつの防御機能には、それぞれ小さな穴が存在しています。

通常であれば、その穴の位置は重なりません。ある防御機能で見逃した危険も、次の防御機能が補います。そのため、事故には至りません。

ところが、まれに複数の穴が一直線に並ぶことがあります。

その瞬間に危険がすべての防御機能を通り抜け、事故として表面化するのです。

このモデルが画期的だったのは、「事故とは誰か一人の失敗ではなく、防御機能全体が偶然すり抜けられた結果である」と説明した点にあります。

例えば、利用者が夜間に転倒した場面を考えてみましょう。

利用者は普段より眠りが浅く、夜中に何度も起きていました。しかし、その情報は申し送りで十分に共有されませんでした。夜勤者は他の利用者への対応で忙しく、巡視が予定より少し遅れました。その日は廊下の照明も一部が暗くなっていました。利用者は一人で歩こうとし、足元のふらつきから転倒しました。

この事故を「夜勤者の見守り不足」と結論付けることは簡単です。しかし、それでは再発防止にはつながりません。

利用者の状態変化を早期に把握する仕組みは適切だったのでしょうか。

申し送りは十分だったのでしょうか。

夜勤配置は現実に合っていたのでしょうか。

照明環境の点検は行われていたのでしょうか。

このように複数の防御機能を検証することで初めて、事故の全体像が見えてきます。

スイスチーズモデルは、介護安全学に極めて重要な視点を与えました。

事故とは、一人の失敗ではなく、システム全体の結果なのです。

しかし、安全学はここで止まりませんでした。

二十一世紀に入り、システムはさらに複雑になります。

情報通信技術が発達し、AIが導入され、多職種連携が進み、介護も地域包括ケアシステムの中で運営されるようになりました。

このような複雑な社会では、防御機能を積み重ねるだけでは十分に安全を説明できない場面が増えてきました。

この課題に挑戦した研究者が、アメリカの工学者ナンシー・レブソンです。

レブソンは、航空宇宙工学やソフトウェア工学の研究を通して、「現代の事故は部品の故障ではなく、システム全体の制御が適切に機能しなかった結果として発生する」と考えました。

彼女は、この考え方を「STAMP(Systems-Theoretic Accident Model and Processes)」として体系化しました。

STAMPでは、安全とは部品を増やすことではありません。

システム全体が適切に制御されている状態を意味します。

例えば、自動車を考えてみましょう。

ブレーキ、ハンドル、エンジン、タイヤはすべて正常でも、運転者と道路環境、交通信号との関係が適切に制御されなければ事故は起こります。

つまり、安全とは部品の品質ではなく、関係性の質なのです。

介護も同じです。

介護職だけが優秀でも安全にはなりません。

看護職だけが優秀でも十分ではありません。

介護支援専門員だけが努力しても事故は防げません。

利用者、家族、介護職、看護職、リハビリ職、医師、薬剤師、地域資源、ICT機器、それらすべてが適切に関係し合って初めて、安全な介護が実現します。

この考え方は、これまで学んできた認知科学、安全文化、高信頼性組織とも自然につながります。

認知科学は、人間には認知的な限界があることを教えました。

安全文化は、その限界を補い合う組織の価値観を示しました。

高信頼性組織は、その価値観を具体的な組織行動へと発展させました。

そしてSTAMPは、それらをさらに広い社会システムの中で理解する視点を提供しています。

このように見ていくと、安全学の歴史とは、人間を責める学問から、人間を理解する学問への変化であったと言えるでしょう。

さらに言えば、個人を理解する学問から、組織を理解する学問へ、そして社会全体のシステムを理解する学問へと発展してきた歴史でもあります。

介護安全学も、まさにこの流れの上に位置付けられます。

転倒事故が起きたとき、「誰が見守っていたのか」を問うだけでは不十分です。

「なぜそのような状況が生まれたのか」を考えます。

さらに、「利用者と職員、環境、組織、地域社会はどのような関係性の中で安全を実現していたのか」を問い直します。

安全とは、人間の努力だけで守られるものではありません。

安全とは、システムが人間を支え、人間がシステムを支え、互いの関係性を絶えず調整し続けることによって創り出されるものなのです。

だからこそ、介護安全学が目指すべきものは、「事故を起こさない介護職」を育成することではありません。

利用者、家族、多職種、組織、地域という複雑なシステム全体を理解し、安全を設計し、改善し続けることのできる専門職を育成することです。

その意味で、安全とは知識ではありません。安全とは、人間と組織と社会を統合的に理解し続ける知性そのものなのです。