介護事故について話し合う場面では、「もっと安全意識を高めよう」という言葉がしばしば聞かれます。この言葉には、安全を大切にしたいという前向きな思いが込められています。しかし、安全科学の立場から考えると、「安全意識」という言葉だけでは事故を防ぐための十分な説明にはなりません。

仮に、ある介護施設で転倒事故が発生したとします。その原因を検討した結果、「職員一人ひとりがもっと注意していれば事故は防げた」という結論に至ったとすれば、事故報告書はそこで終わってしまいます。しかし、翌月になって同じような事故が再び発生したならば、その結論は十分であったとは言えません。

なぜ同じような事故が繰り返されるのでしょうか。

その理由は、事故を起こした個人だけを見ていては、安全を支えている仕組み全体が見えなくなるからです。

介護施設では、毎日数え切れないほど多くのケアが行われています。起床介助、食事介助、排泄介助、入浴介助、服薬介助、レクリエーション、記録、申し送りなど、その一つひとつに危険が潜んでいます。それにもかかわらず、大半のケアは事故なく終わっています。

この事実は、極めて重要な意味を持っています。

私たちは事故が起きた日にだけ安全について考えがちですが、実際には事故が起きなかった一日にも、安全を支える数多くの働きが存在しています。

安全とは、事故が起きなかったという結果ではありません。

組織の中で、毎日当たり前のように繰り返されている判断や行動、情報共有、相互支援、学習といった営みが積み重なった結果として、安全は実現されているのです。

このような考え方を世界へ広める契機となった出来事が、一九八六年に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故でした。

この事故は、原子炉の設計上の問題だけでは説明できませんでした。運転手順、教育体制、管理体制、組織内の意思決定、さらには「危険を指摘しにくい雰囲気」など、多くの組織的要因が複雑に絡み合っていたことが明らかになります。

事故後、国際原子力機関(IAEA)は事故原因を分析する中で、それまで十分に注目されていなかった一つの概念を提唱しました。

それが「安全文化(Safety Culture)」です。

安全文化とは、単に安全を重視する姿勢を指す言葉ではありません。

IAEAは安全文化を、「安全に対して組織と個人が共有する価値観、態度、能力、行動様式の総体」と位置付けました。

この定義が画期的だったのは、安全を個人の能力としてではなく、組織全体が共有する文化として捉えたことにあります。

文化とは、目に見えるものではありません。

例えば、新しく入職した職員は、その施設のマニュアルだけではなく、「この施設では何を大切にしているのか」を周囲の職員から自然に学んでいきます。

利用者の小さな変化にも必ず声を掛け合う職場なのか。

ヒヤリとした出来事を気軽に相談できる職場なのか。

困ったときには先輩へ相談しやすい雰囲気があるのか。

あるいは、失敗を報告すると叱責されるため、誰も問題を口にしなくなる職場なのか。

これらはマニュアルには書かれていません。

しかし、日々の行動を通じて職員へ受け継がれ、やがて組織の「当たり前」となっていきます。

これこそが文化です。

文化には、もう一つ重要な特徴があります。

それは、文化は個人の行動を規定するということです。

私たちは、自分一人だけで仕事をしているように感じています。しかし実際には、周囲の人々の価値観や組織の雰囲気から大きな影響を受けています。

例えば、申し送りで疑問点を自由に質問できる職場では、分からないことを確認する行動が自然になります。

一方で、「そんなことも知らないのか」と言われる職場では、分からないまま仕事を進める職員が増えるでしょう。

その違いは、個人の能力ではありません。

組織文化が、確認という安全行動を促しているのか、それとも妨げているのかという違いなのです。

このことは、介護施設における教育のあり方にも重要な示唆を与えます。

安全教育というと、多くの場合は知識や技術を教える研修が思い浮かびます。しかし、どれほど優れた研修を実施しても、現場へ戻った瞬間に「そんなことをしていたら仕事が終わらない」「昔からこのやり方だから」と言われるような職場では、新しい知識は定着しません。

つまり、人を教育するだけでは安全は実現しないのです。

教育によって得られた知識を安心して実践できる文化があって初めて、その知識は組織の力になります。

このように考えると、安全文化とは教育そのものを支える土壌であると言えるでしょう。

一方で、安全文化は抽象的な概念であるため、「良い文化を作ろう」という掛け声だけでは何も変わりません。

そこで近年、安全学では「安全風土(Safety Climate)」という概念が重視されるようになりました。

安全風土とは、組織文化そのものではなく、職員が現在の職場をどのように感じているかを表す概念です。

例えば、「この施設では事故を報告しやすい」「上司は安全を重視している」「職員同士が互いに助け合っている」といった認識は、安全風土を構成する要素です。

文化は長い年月をかけて形成されますが、安全風土は比較的短期間でも変化します。

新しい施設長が着任したことによって職場の雰囲気が変わることがあります。教育担当者が交代したことで相談しやすくなることもあります。逆に、人員不足が続くことで安全よりも業務効率が優先されるようになる場合もあります。

つまり、安全風土は、その時点における組織の健康状態を映し出す鏡のような存在なのです。

介護施設が安全文化を育てようとするならば、まず職員が現在の職場をどのように感じているのかを知る必要があります。

事故の件数だけを見ていても、組織の安全性は分かりません。

事故が少なくても、職員が報告をためらっているだけかもしれません。

逆に、ヒヤリハット報告が多い施設は、一見すると危険な職場に見えるかもしれません。しかし実際には、問題を率直に共有できる健全な文化が育っている可能性があります。

数字だけでは見えない組織の姿を理解するためにも、安全文化と安全風土を区別して考えることは重要なのです。

安全とは、設備やマニュアルだけで守られるものではありません。

職員一人ひとりが互いを信頼し、問題を共有し、学び続ける組織であって初めて、安全は日々育まれていきます。その意味で、安全文化とは事故防止のための付加的な活動ではなく、介護という専門職を支える基盤そのものだと言えるでしょう。


以上では、安全文化とは職員一人ひとりの安全意識を高めることではなく、組織全体が安全という価値を共有し、その価値観が日々の行動や意思決定に表れる状態であることを説明しました。そして、安全文化はマニュアルによって作られるものではなく、組織の中で積み重ねられる経験や対話、学習を通して育まれるものであることを確認しました。

しかし、安全文化を本当に理解するためには、もう一つ重要な問いがあります。

それは、「事故が起きたとき、組織はどのように向き合うのか」という問いです。

介護事故が発生すると、私たちは原因を知ろうとします。事故調査を行い、関係者へ聞き取りを行い、経過を整理し、再発防止策を検討します。こうした活動は安全管理において欠かすことのできない営みです。

ところが、その過程で組織が無意識のうちに「誰が悪かったのか」という問いへ傾いてしまうことがあります。

もちろん、故意の規則違反や重大な職務放棄については責任を問わなければなりません。しかし、多くの介護事故は、そのような悪意から生じるものではありません。利用者を守ろうと誠実に仕事をしていた職員が、人間として避けることのできない認知特性や、組織の環境要因の中でエラーを起こしてしまう場合が大半です。

にもかかわらず、事故が起きるたびに個人だけを責める組織では、職員は次第に失敗を隠すようになります。

「報告すれば評価が下がるかもしれない」「叱責されるくらいなら黙っていた方がよい」。そのような空気が生まれれば、ヒヤリハットは報告されず、小さな異常も共有されなくなります。そして、組織は学ぶ機会を失い、同じ事故を繰り返すことになります。

この問題に対して提唱された考え方が、「Just Culture(公正文化)」です。

公正文化とは、「責任を問わない文化」ではありません。また、「失敗を許す文化」という意味でもありません。

公正文化とは、人間が誠実に業務を遂行した結果として生じたエラーと、意図的な違反や重大な規範逸脱を明確に区別し、それぞれに応じた適切な対応を行う文化です。

例えば、前回学んだヒューマンエラー理論では、「スリップ」「ラプス」「ミステイク」は、人間の認知特性から生じるエラーでした。一方で、「違反」は規則を理解した上で意図的に逸脱する行動でした。

Just Cultureは、この違いを組織全体で正しく理解することを求めています。

認知特性によるエラーに対して必要なのは処罰ではありません。なぜそのような状況が生まれたのかを組織全体で分析し、同じエラーが起こりにくい仕組みを整えることです。一方、意図的な違反については、安全文化を守るためにも適切な指導や責任追及が必要になります。

つまり、公正文化とは、「人を守る文化」ではなく、「安全を守るために人を正しく理解する文化」なのです。

この考え方は、介護施設の管理者やリーダーにとって極めて重要です。

事故報告書を読む際、「誰が間違えたのか」という視点だけではなく、「この人が間違えざるを得なかった背景は何だったのか」という問いを持つことが、安全文化を育てる第一歩になります。

近年、安全科学はさらに新しい方向へ発展しています。

長い間、安全管理の基本は「事故を分析し、再発を防止すること」でした。

この考え方は現在、「Safety-I」と呼ばれています。

Safety-Iでは、安全とは事故が起きていない状態を意味します。そのため、事故が起きたときには原因を分析し、原因を取り除くことで安全を実現しようと考えます。

もちろん、この考え方は現在でも重要です。事故から学ぶ姿勢を失ってはなりません。

しかし、エリック・ホルナゲルは、この考え方だけでは十分ではないと指摘しました。

介護施設では、毎日何千回ものケアが行われています。そのうち事故になるのは、ごくわずかです。

では、残りのほとんどのケアは、なぜ安全に実施できているのでしょうか。

この問いから生まれた考え方が、「Safety-II」です。

Safety-IIでは、安全とは「事故が起きない状態」ではなく、「日常の仕事がうまく機能し続けている状態」であると考えます。

介護職は毎日、利用者の状態に応じて柔軟に判断を変えています。

予定どおりに仕事が進まないことは珍しくありません。

急な体調変化があります。

家族対応が入ります。

予定外の受診があります。

職員配置が変わります。

それでも介護は止まりません。

現場では職員同士が声を掛け合い、優先順位を調整し、その場に応じた工夫を重ねながら、安全なケアを維持しています。

つまり、安全はマニュアルどおりに仕事をした結果として生まれているのではありません。

状況へ適応し続ける現場の力によって支えられているのです。

この視点は、介護という仕事と非常に相性がよい考え方です。

介護は工場のように同じ製品を繰り返し生産する仕事ではありません。

利用者一人ひとりが異なり、その日の体調も異なります。

毎日が変化の連続です。

だからこそ、安全とは「変化しないこと」ではなく、「変化へ適応できること」と理解する方が現実に近いのです。

この適応能力を理論化したものが、レジリエンス工学です。

レジリエンスという言葉は「回復力」と訳されることがありますが、安全学ではそれよりも広い意味を持っています。

レジリエンスとは、予期できない変化や困難が生じても、必要な機能を維持しながら柔軟に適応する能力です。

介護現場では、予定どおりに仕事が進む日の方が少ないかもしれません。

それでも事故が起きないのは、職員が互いに協力し、状況を見ながら判断を変え、利用者へ最も適した対応を選び続けているからです。

つまり、安全とは静的な状態ではありません。

絶えず変化する状況へ適応し続ける動的な能力なのです。

このように見ていくと、安全文化とは単に事故を防ぐための仕組みではないことが分かります。

安全文化とは、人間が失敗することを前提にしながら、その失敗を組織全体の学びへと変え、変化する環境へ適応し続ける組織能力そのものなのです。

そのような組織では、事故が起きたときだけ安全について考えるのではありません。

事故が起きなかった日にも、「今日はなぜ安全に仕事を終えることができたのか」を振り返ります。

新人の気付きに耳を傾けます。

ベテランの経験知を共有します。

ヒヤリハットを歓迎します。

小さな違和感を見逃しません。

その積み重ねが、安全文化を育てます。

介護安全学が目指す安全とは、事故をゼロにするという理想だけを追い求めることではありません。

人間を理解し、組織を理解し、変化を理解し、その上で毎日安全を創り続ける力を育てることです。

安全文化とは、その営みを支える土台であり、介護という専門職の成熟度を映し出す鏡でもあります。

次回は、この安全文化を実際に実現している組織の特徴を学びます。航空母艦、航空管制、原子力発電所など、重大事故が許されない現場を研究する中から生まれた高信頼性組織(High Reliability Organization:HRO)の理論を取り上げます。そこでは、「失敗へのこだわり」「単純化への抵抗」「現場への感受性」「レジリエンスへのコミットメント」「専門性への敬意」という五つの原則を軸に、「安全な組織は何が違うのか」を介護施設の運営へと結び付けながら考察していきます。